…10月の西安

突然の休暇旅行

 国慶節休暇の期間中に予定されていた行事が、突然キャンセルになった。腹を立てることなく、神様が「休みなさい。」と言ってくれているものだと理解して、小旅行を計画することにした。

 目的地は新彊ウイグル自治区、北部のアルタイ観光には時期が遅く、ウルムチとトルファンの2ヶ所を選んだ。連休中ということで航空券や宿泊先の手配ができるか心配したが、神様のお力添えがあったのだろう予約することができた。

 二都市へは二度目の訪問になるが、久しぶりの旅行に心は浮き浮き。ウルムチの訪問先は、南山牧場・天池・バザール・博物館。トルファンはベゼクリク千仏堂・火焔山・高昌古城である。その他、和田玉のお店巡りも頭の中にはある。

 南山牧場と天池は、ウイグル市民の憩いの場になっている。豊かな自然と地元料理を楽しみながら、のんびりと過ごす保養地だ。南山牧場の木々が美しく色付いて、訪問を歓迎してくれた。順調にスタートした旅だったが、天池でトラブル発生。

 宿泊は高級ホテルを手配したつもりでいたのだが、これがとんでもない施設で、空調・温水なし、掃除もされていないボロホテルであった。高地にあって、夜の冷え込みは厳しい。ネパールのような湯たんぽサービスもなく、服を着たままの就寝になった。

 翌朝、日の出の景色を見に出かけた。例えようもなく美しく、一夜の苦しみをすっかり忘れさせてくれた。また、朝食で食べたナン(パン)と羊スープは絶品で、冷えた体を芯まで温めてくれた。レストラン店主の話によると、羊は生後9ヶ月頃が一番旨いらしい。食後、その時期の羊2匹が首に紐をかけられて、どこかへ連れて行かれる光景を見てしまった。消化には良くなかった。

 ウルムチに戻り、翌日トルファン観光に出かけた。海抜−160m、ユーラシア大陸の中央に位置し、夏の暑さは世界的に知られている。気温は50℃を超えると聞く。草木はなく、灼熱地獄のような火焔山の風景がその厳しさを教えてくれる。

 火焔山では中国人観光客を多く見かけたが、他の訪問先で見かけることはなかった。不思議に思いガイドに訊ねてみたところ、「土の塊が残るだけのシルクロードの歴史遺産は、中国人には評判が悪い。」とのこと。また、「熱心に見て回るのは日本人だけだ。」とも言っていた。

 三蔵法師がインドへの旅の途中に立ち寄り、2ヶ月間も過ごした高昌国の都があった古城なのに、どうして?

 ウルムチを発つ前に歴史博物館を訪ねた。2001年の訪問時にはプレハブの小さな建物だったが、大きくて立派な建物に変わっていた。漢民族がこの地を支配した漢代と明代の展示品が増えたように思う。「楼蘭美女」とは2度目の対面になるが、前回と同じように食欲が無くなってしまった。金髪の美女とはいえミイラである。食欲を持ち続けられるほど私の神経は太くないようだ。

 土産には、新彊ウイグル名産のぶどうと干しぶどうを多量に買い求めた。これが実に美味しいのである。旅の途中でも食していたが、西安に戻ってから本格的に味覚を楽しんだ。




   

古民家収集家が動く

 西安の南にある秦嶺山脈の麓に、陝西省内に残されていた古民家を移築して造られた博物館がオープンした。驚きは、個人が所有する博物館だということだ。

 案内によれば、所有者は建築会社を5社も経営していた社長で、20年間購入や新築住宅と交換するなどの方法で古民家収集を続けてきた。博物館を開設するにあたり、その5社を売却して開設資金を準備した。

 現在は一期分だけのオープンだが、二期には古民家レストラン、三期では古民家ホテルの計画まであるという。二期の建設現場を覗いてみた。骨組みは耐震性十分の鉄筋コンクリート、外装は運び込まれてきた古いレンガ、木材、瓦である。使用されるレンガ一つ一つにも番号が付けられていた。

 骨董品といえば、戸棚に収納できる品という感覚でいたが、古民家という大型骨董品を見て考え方を変えなければならなくなった。また、こんな話もある。この博物館を現国家主席が訪れた際に、「この博物館を国で買い上げたい。」と申し込んだらしい。持ち主はそれを断ったというから、また驚きだ。

 持ち主の中国歴史遺産を愛する心と天文学的額の資産には、ただただ感服するばかりだ。



 ホームページをリニューアル

 新入社員ミーティングで「会社のホームページをリニューアルしたい。」と話してみたところ、彼らの目が輝き出した。やってもらおうじゃないか。新入社員たちから次々とアイデアが出される。「君たちに任せた。」

 10月下旬に作業が終了、ホームページはリニューアルされた。新入社員たちの勢いは止まらない。もう、来年に向けて動画を取り込むことを考えている。


 




 会社案内を印刷
 

 会社案内を印刷して2年になる。住所は古いまま、退職した社員の写真まで掲載されている。新しく印刷しなければならない。

 前回は「Simple is best.」をコンセプトにデザインを決めていった。今回はどうするか?西安スタッフに一任することにした。現行デザインがスッキリしていて良いという結論が出た。デザインと色合いはそのままに、退職した社員の写真2枚だけを差し替える考えだ。写真撮影を済ませ、印刷準備にかかる。

 「前回依頼した印刷屋に連絡してみるが電話が通じない。廃業したように思う。」と報告がある。新しい印刷屋もなかなか見付からない様子だ。印刷部数は1000部を予定しているが、この部数だと商売にならないからと断ってくる会社もある。「目先だけの商売を考えるな。」と言いたくなってしまう。

 西安スタッフが、外資系企業が利用している印刷屋を見付けた。工場を訪ねてみると、ドイツ製印刷機が2基設置されていた。用紙の種類も多く、職人さんたちが真剣な目で仕事をしている。ここなら大丈夫。色合わせにも立ち会わせてもらい、イメージ通りの会社案内が出来上がってきた。






会社紹介ビデオ製作―4

 多くの人達の努力で会社紹介ビデオは完成した。満足感に浸ってよいところであるが、私は疲れたとしか感じられない。困ったものだ。

 崗山で新作ビデオの試写会を開いた。「お洒落。今までに見たことがない。」と社員たちは大興奮、嬉しくてたまらないといった様子だ。会社の自慢話ばかりが出てくる他社のビデオと違って、社員の成長をドキュメンタリータッチで表現しているところが素晴らしいと言う。このストリーを考えた西安スタッフのお手柄だ。

 撮影を担当した私の反省は、ビデオ内蔵マイクでは周りの音を拾い過ぎて雑音が多くなってしまった。やはり、ピン・マイクを購入しておくべきだった。後一つは、映像の変化がもう少し欲しかった。移動しながら安定した画像が撮影できる機材があったらと思う。この事を西安スタッフに話すと、「買いましょう。会社説明会の収録もありますから。」であった。

 機材の調達はしますが、私の撮影作業はこれからも続くのでしょうか?


 会社説明会の準備

 
 ホームページのリニューアル、会社案内の印刷、ビデオ製作を終えて、募集活動がいよいよヤマ場を迎える。西安スタッフは、会社説明会には社員全員参加を予定している。日本に滞在している社員には、ビデオ映像で登場させるつもりだ。

 会社の考え方・計画・現状などをより深く正確に学生たちに理解してもらうために、西安スタッフが知恵を絞り、新入社員たちが作業を進めていく。困ったことになった。昨年までは、私の挨拶は「こんにちは。」だけであったが、今年はスピーチがあるという。それも唯のスピーチではない。英語で直接学生たちに語りかけてくれというのだ。これには理由があった。

 IBMが中国で行った会社説明会の様子がネットで流れていて、アメリカ本社からやって来た副社長が英語でスピーチしている映像がある。その姿がとても先進的に見えたらしい。「世界のIBMと同レベルで考えるなんて。」と言いたくなるが、私だけ何もしないわけにはいかない。ここは、承知するしかないだろう。

 英文の原稿書きで一苦労、暗記にはもっと苦労することになる。英語の勉強を終えてから43年、頭の中に英語など残っているはずもない。しかし、恥はかきたくない。人生最大の危機だ。
 




 秋の福利厚生行事

 10月下旬の土曜日、社員から希望が多かった日本食の食事会とカラオケ大会を開くことにした。日帰り旅行を考えていたが、日本語研修で日本料理の名前を勉強している最中で、教えている通訳先生が「食べたことがないので、質問されても答えようがありません。」と嘆いていたことが計画変更の決め手になった。

 当日レストランに行ってみると、店内は異様な雰囲気である。公安(警察)の人達で満席状態になっていた。理由は、抗日運動の被害を防ぐためだ。入口に立ったままでいるわけにもいかないので、日本人VIPになったつもりで堂々と奥座敷へ進んで行った。

 この日の客は私達だけ。大学では学生に休日の外出を禁止した。また、公安の警備も各地で厳しくなってきた。抗日騒ぎは大きくならないだろう。

 この日の料理は教科書に掲載されてあった中から、刺身・天ぷら・焼き鳥・焼き魚・茶碗蒸しを選んだ。勿論、日本料理の特長や料理ごとの食べ方についての指導を行った。社員たちはやや緊張気味に生まれて初めての料理を口に運んでいる。「美味しい。」の言葉が聞こえてきた。嬉しい、森ノ石松の台詞ではないが「食いねえ、食いねえ。」になる。追加注文もOKよ。

 食事の後はカラオケ大会である。食事会よりも社員たちは張り切っている。部屋に入るなり、予約合戦が始まった。次から次へと元気な歌が続く。若いってことは素晴らしい。

 

 



…11月の西安…

入社1年目の社員が日本へ

 
 西安出張の日程が変更になり、本社へ赴任する社員たちと西安と上海の上空ですれ違うことになった。見えるはずもない飛行機を眺めながら、「頑張れよ。」と心の中で叫んでいた。彼らには、日本語と日本文化の教育を強化した。本社の社員たちも喜んでくれるだろう。

 本社の歓迎会は、恒例になった七輪を囲んでの焼肉パーティーだ。その様子を撮影した写真が、翌日には西安へ送られてきた。写真を見ていると、彼らと過ごした一年が思い出されてくる。



 会社説明会を開催

 
 会社説明会を11月に4回予定している。崗山の社員たちは、開会直前まで各自の役割分担の確認やスピーチのリハーサルを続けていた。準備は万全のようだ。心配なのは、私のスピーチ準備である。暗記は全く進んでいない。前夜にはやるつもりでいたのだが、宿舎に戻ってみると周辺は真っ暗。停電で、復旧は明け方になるという。ぶっつけ本番になった。

 開催日は全員スーツ姿、西安では目立つ存在だ。抗日運動の影響もあって、参加者は例年ほど多くない。しかし、全員やる気満々だ。受付準備や機器類のセットを済ませ、全員で「笑顔の応対」を確認してから配置に付く。

 説明会は順調にプログラムを消化していく。ついに私の出番がやって来た。震える足で舞台に立つ。原稿に目をやりながらではあったが、何とかやれたようには思う。後日行った面接試験の際に、学生に私のスピーチついて訊ねてみたところ、「100%理解することができました。」と嬉しい回答があった。42年振りの大仕事、恥をかかない程度にはできたようだ。また、「日本人が母国語ではなく、外国語で話す努力をしたことに価値があります。」とも言っていた。

 会社説明会最後のプログラムは、参加者を5グループに分け、各グループに新入社員1名を配置して行うミーティングだ。社員が学生たちからの質問に答えていく。学生には大好評で、日本のお菓子をつまみながら楽しそうに会話していた。学生と社員を同時に見ていると、両者の違いの大きさに驚かされる。社員が成長した証なのだろう。

 面白い話がある。「司会されていた社員(男性)の方がとても素敵で、どうしても一緒に働きたい。採用してください。」と言ってきた女子学生がいた。大胆な発言だが、喜ぶべき話だ。

 説明会の翌日には、参加者から多くのメールが寄せられた。「感激しました。」、「雰囲気がとても良かった。」、「是非貴社に入りたい。」といった内容であった。
 

 

 

 採用試験を始める

 5年目の採用試験を始める。筆記試験のカットラインは昨年と同レベルで選考作業を進めていく。合格した学生は20名、昨年と比較すると低い合格率だ。見た感じが良かっただけに残念だ。不合格になった学生からもメールが届く。「仕事ができるようになるまで給料はいらないから、是非私に面接試験のチャンスを与えてくれ。」というものだ。日本ではとても考えられない内容だ。

 面接試験では、毎年同じことが感じられる。それは、自己中心的な考え方の学生が多いということだ。質問されていることも忘れて自分のことばかりをアピールしてくる学生、入社するとどの様な利益を自分は得ることができるのかを気にする学生たちだ。気分が悪くなる。

 今年の特徴としては、学生からの質問が大きく減ったことがある。これは、説明会の内容を充実させた効果であろう。もう一つは、応募動機に、社員たちの笑顔・行き届いた心使い・きびきびした動き・上司との人間関係などが新登場してきたことだ。説明会で感じられたことが、直接応募動機につながったとは驚きである。

大らかで気にしない文化だと思っていただけに、意外な感じがする。他人の態度や気配りを観察する目は鋭く、それらを求める心を持っていることを、今年の説明会で知った 。このことは、崗山社員が第一目標にしている「魅力ある人間になる。」が、学生から評価されたことだと言える。今年一番嬉しいニュースだ。


…12月の西安…

採用内定者を決める

 
 西安スタッフから面接受験者たちの熱い思いが伝えられた。面接試験後に送られてきたメールや電話によるものだ。その思いを適えてやりたい気持ちもあるが、全員採用するわけにはいかない。随分と迷ったが、筆記試験を重視した最終審査で3名を選び決着をつけた。健康診断で問題がなければ、採用内定者はこの3名になる。


忘年会

 社員を国際人に育てるという目的もあって、西安一の高級ホテルで忘年会をやることにした。世界の料理が揃っている。その中でも、特に日本料理が豊富だ。

 社員たちは、刺身や寿司に積極的にチャレンジしていた。日本語を指導してくれている教授や採用内定者にも参加してもらい、飲んだり食べたりの賑やかな会になった。

 社員を見ていて、高級ホテルの雰囲気を壊しているような感じはしてこない。国際人に近くなってきたのだろう。だが、採用内定者たちは目を伏せたくなるほど酷かった。厳しい教育が待っているぞ。


2010年の終わりに

 年頭に考えた目標は、全て年内に達成することができた。目標とは、日本語教育期間の短縮、前事務所設備の売却、募集活動の改善である。

 日本語教育は大学教授に協力いただけたことで、期間を半分までに短縮することできた。前事務所設備の売却では、買い手との粘りの交渉で投資した全額を回収することができた。募集活動の改善では、会社紹介ビデオの企画・製作、ホームページのリニューアル、会社説明会の企画変更などで好評も上々となり、期待していた以上の成果を得ることができた。

 これら全てのことは、西安スタッフと社員たちの『知恵と工夫と努力』があったから達成できたのである
  

玉収集のその後-4


 玉収集は漢代を中心に進めてきたが、最近になって興味が唐代に移った。唐代の優美な曲線に魅せられたからだ。漢代の作品は直線的で迫力ある男性的なデザイン、唐代は曲線的で優しい女性的なデザインなのである。

 唐代の玉作品を専門書で眺める(読めないからである)限りでは、祭器や副葬品が減って装飾品や日用品が増えた。玉材は漢代と比べると劣っているように思えるが、彫りやデザインでは負けてない。図案化されたデザインはとても魅力的だ。S字に身体をくねらせた楽人や舞人、ふくよかな顔立ちの婦人、上半身の衣を脱いだ妖艶な姿の天女、流れる雲の紋様で飾られた日用品など、多くの作品から唐代独特の優雅さが感じられる。

 唐代の玉作品は、骨董市場や博物館でも数が少ないように思える。唐三彩などの焼物が盛んに作られた時代だったからなのかもしれない。「ひょっとしたら、空海さんがこの作品を見たかもしれない。」、そんな想像をするだけでもワクワクしてくる。

 馴染みの店で、唐代の優しい顔をした観音様とラクダに乗った異国人に興味がある話をすると、店主の目がキラッと光った。数日後に店へ寄ってみると、予想した通り2点が準備されていた。異国人から登場してくる。第一印象が良くない、ラクダの目付きが悪いのだ。渋い顔を見て、店主は直ぐに観音様を出してきた。品のある顔立ち、風に揺れる衣、優雅な手の形に一目惚れしてしまった。

 観音様を眺めていると、仏教曼荼羅の絵が頭に浮かんできた。中央に座したお釈迦様、左右には如来・菩薩・観音、四隅には四天王、飛天達もいる。これらを玉で揃えてみたい。そんなとんでもない夢が浮かんできた。

 骨董知人の一人から久しぶりに連絡が入り、「面白い品があるから見てくれないか。」と言ってきた。見てみると、その中に四体が一組になった「伎楽飛天」があった。高ぶる気持ちを抑えるのに懸命だ。決して悟られてはいけない。かなりの時間をおいてから、どうでもいいのだがという雰囲気で値段を訊ねてみた。納得できる回答があった。努力の甲斐があったというものだ。

 飛天を眺めていると、仏教美術品収集に燃えてくる。骨董店巡りをやってみた。数軒目に立ち寄った店の店主は愛想が良くて、大声を張り上げながら次から次へと作品を見せてくれた。唐代と思える品々ではあるが、どれも気に入らない

帰ろうとすると、店主は「是非、息子の店にも寄ってほしい。車で数分の所だから。」と言ってきた。誘いに応じてみることにした。彼の息子は学校の勉強が大嫌いで、13歳の時から玉の商売をしているという。

 息子の店に到着、高級品が並んでいる。資金力は親父よりも上のようだ。息子は、骨董市場で私を何度か見かけてことがあると言う。有名人になったものだ。並べた品の時代当てクイズをしようと私に挑戦してきた。受けてやろうじゃないか。

 10品中1品が不正解だと言われた。それでもテストには合格したようで、金庫から非売品だと言って数点の作品を出してきた。どれも超一級品だ。博物館でも見ることはできない。暫くこの店に通うことになるだろう。

 玉収集のその後-5へ続く。