…2011年を迎えて

 新しい年2011年を迎え、今年は何をしなければならないかを考えた。

 第一は、「日本文化」と「日本式・社会人としてのあり方」の理解度を深めていくこと。第二は採用応募者の資質レベルアップを図ることになる。

 個人的な目標は欲張った。第一は、西安開設記を書いていて、思っていることが書けなくて焦るばかりしている。書く能力アップになる。第二は、講演などの際に、話さなければならないことを忘れるようになってきた。話す能力アップと緊張感の持続方法についての研究が必要だ。

 第三は、応募してくる学生と時々英語で会話しているが、話が途切れてしまう。英会話能力の復活を目指さなければならない。第四には、ビデオの移動撮影に本気で挑戦してみたいと考えている。

 今年の2月で65歳になる。耳は遠く、視力は衰え、髪は薄くなり、動き出すのにドッコイショの掛け声まで必要になってきた。これからは、老人になったことを意識して行動しなければならない。また、周りの人達に、老人になったことを認めてもらわなければならない。

 若い時と同じように、何でもかんでも言って来られてはたまったものではない。



 

 

 

 

 

 

…1月の西安…

 採用内定者実習会を考える

3月実施予定の採用内定者実習会について考えてみた。昨年までは、日本文化と日式・社会人としての心得について、理論を中心に教えてきた。日本文化とは正反対の中国文化の中で育ってきた彼らに、「一度聞いたら理解しろ。」というのは無茶な話であった。


 改善のヒントは、昨年の実習生たちが言っていた「マナーについて説明を聞くだけでは理解できなかったが、実際にやってみると理解できた。また、日本と対比した西安の実例を聞くと、日本人の考え方も分かるようになった。」といったことがある。実践と実例の時間を増やす必要がある。


 具体的な検討を始める前に、もう一度西安の学生に欠けている点について考えてみた。

  1. 身だしなみを気にしない。
  2. マナーを知らない。
  3. ルールや規則を守らない。
  4. 相手の立場に立って物事を考えることができない。
  5. 恩を感じる心や感謝する気持ちがない。
  6. 目先のことばかり気にして、長期的に物事を考えることができない。
  7. チームワークの大切さを知らない。
  8. 公私の区別ができない。
  9. 自己研鑽の考え方がない
  10. 健康管理の大切さを知らない。

 多くの課題がある。しっかりと教育方法を検討しなければならない。

 実践と実例を増やす他に、ミーティングといった方法も考えられる。昨年9月に新入社員を迎えてからは、ミーティングを週2回行ってきた。双方向で話し合う中で、日本文化を深く理解してもらうためだ。

 身近で起きた出来事や本社研修中の社員からの報告を解析するといったところから始めた。効果としては、社員との距離感がなくなってきた。そのことで、会社の考え方や会社が何を望んでいるかが分かってきているように思える。

 「一を聞いて十を知れ。」は遠い昔の日本にあったお話で、今の世の中で通用するものではない。手間と時間はかかるが、日本文化を理解してもらうには最良の方法と思う。採用内定者実習会にミーティングを取り入れることも検討してみよう。




 



 突然の家賃値上げ
 

 この2年間は、続いていた事務所問題が起きることはなかった。しかし、1月の契約更新の直前になって、突然家主に家賃27%値上げを言われた。

 それも、いやなら出て行けといわんばかりの言い方である。引越しするなら今のままの家賃にするとか、次の借り手が待っているなどと追い討ちまでかけてくる。 話し方は気に入らないが、考えてみれば西安の物価はこの1年で平均20%は上昇している。

 不動産関係の値上がりは特に激しく、50%以上という噂まである。取りあえず、周辺の家賃調査をしてみることにした。 調査結果は思っていた以上の値上がりであった。内装されていない部屋でも、今回提示された家賃よりも高いといった状況だ。腹を立てる権利を失ったようだ。

 やれることは、外資系企業をアピールして僅かな値引きのお願いしてみるだけだろう。 努力は報われた。移転計画もないので、ついでのことに契約期間を3年にした。






 日系企業が突然消えた

 昨年の夏、多くの政府関係者を招いて華やかな祝賀会を開いてスターとした日系企業が、突然西安から消えてしまった。

 僅か数ヶ月の命だった。日本人スタッフまで居たというのに、何があったのだろうか? 知人から聞いた話によると、最後の月は社員の給料も支給されなかったという。事務所にあった備品を処分して、社員が分け合ったらしい。

何ということか、やらなければよかった。また、「立つ鳥後を濁さず。」が、日本人の正しい考え方であろう。最悪の終わり方になった。


 

…2月の西安…

 春節休暇

 春節休暇は、西安に残って採用内定者実習会の準備を進めることにした。西安オフィスの大掃除を済ませ、3日の「春節の日」を迎える。どうも朝から体調が悪い。体温を計ってみると38℃。氷枕と氷嚢を準備して、寝る治療を試みることにした。

 翌朝になっても熱は下がらない。体温はついに39℃を越えた。日本を出国する際に渡された「インフルエンザ流行に注意」のチラシを思い出した。遅かった。覚悟を決めて病院へ行く。

 救急の受付を済ませ、ドクターの前に座る。インフルエンザと診断され、注射と点滴治療を指示された。点滴本数は1日に3本、所要時間は単純計算でも10時間になる。この治療が3日間も続くという。大変なことになってしまったが、医師の指示に従うしかない。

 椅子に座り点滴が始まる。部屋は寒く、体内に入っていく液は氷のように冷たい。体温は下がるだろうが、はたしてインフルエンザは治るのか? 連続して治療を受けなければならないのだが、次の日の治療を自分勝手に休みにした。

 理由は腰痛によるものだ。寒さと長時間の椅子はこたえた。暖かい西安オフィスで静養した方が治るようにも思えた。 思うようにいかないのがインフルエンザ。翌朝の体温は40℃に近い。今日は病院へ行かなければ。

 注射を済ませ点滴治療に入る。1本目は何事もなかったが、2本目に入ったところで急に気分が悪くなり意識を失ってしまった。床に倒れたようだ。意識が戻った時は、集中治療室で寝ていた。傍らにある計器を見ると、血圧数値がとんでもなく低い。このまま死んでしまうのか?

 先生方が度々様子を見に来てくれたことで、その不安がいっそう増していった。 夕方近くなって、血圧は平常数値に戻ってきた。やれやれ、これで今日の治療は終わりと思ったが、その後もインフルエンザ治療が続けられた。

 終ったのは、深夜近くになってからだ。 翌朝の診察の際に、「暖かい部屋で横になって治療を受けたい。」と先生に我が侭を言ってみた。OKの返事だ。手配してくれた個室はスチーム暖房が効いて暖かい。

 ベッドには清潔な寝具も用意されている。こんなことなら、最初から我が侭を言っておけばよかった。 空白の1日はあったが、合計で3日間の治療を終えた。インフルエンザは治ったようだが、食欲が戻ってこない。それに、少し動いただけでも息切れする。

 別の不安を感じてきた。胃癌かもしれない?肺に水が貯まっているのでは?数日間この不安が続いたが、帰国する頃には薄らいでいた。 この度の治療では、西安スタッフとご家族の皆さんに大変お世話になりました。心から御礼申し上げます。我が侭を言って困らせたことも謝ります。

 英文の原稿書きで一苦労、暗記にはもっと苦労することになる。英語の勉強を終えてから43年、頭の中に英語など残っているはずもない。しかし、恥はかきたくない。人生最大の危機だ。
 




…3月の西安…

 採用内定者実習を始める

 実習準備が出来ないままで岡山を発った。これから2週間、睡眠時間を削る苦行が始まる。昨年は、実習半ばに網膜の一部が?がれるといった事件が起きた。無理は出来ない。  実

 習初日を迎える。「何というネクタイの結び方だ。頭髪も伸びている。」そんな実習生たちの姿を見ていると、激しく燃えてくるものを感じた。準備不足など問題ではない。次々と話すべき話が浮かんでくる。西安スタッフも同じで、私が一つ話すと新しい話を二つ加えていた。崗山軟件にも歴史ができてきたということだろう。

 結果、スケジュール遅れを心配しなければならなくなった。 新たに試みた教育手段がある。それは、日本製の生活用品を見てもらうことだ。世界で一番商品数が多い日本のこと、西安では見ることができない品も数多くある。思いつくままに、西安オフィスにある日本製商品を大きな袋に詰め込んで運んだ。

 多機能料理鋏、ホッカイロ、各種消臭剤、弁当箱、携帯用朱肉、防虫剤、その他にも十数点を準備した。 「これは何でしょう?何に使う物でしょう?」この質問に、正解は全く出てこなかった。まさかこんなことになるとは。日本では見慣れているが、彼らにとっては想像もつかない品々のようであった。

 単純とも思える教育手段だが、驚くべき効果があった。日本製品から、「お客様は神様」や「もったいない」精神を知り、創意工夫や品質の大切さを感じたのである。この手段を考えた西安スタッフに、最高の褒め言葉を贈りたい。

 また、手本になる先輩が揃ってきたことも大きな効果があった。言葉でいくら説明しても理解してもらえず、ただ苦労するだけで終わっていたマナー教育が、「百聞は一見にしかず」先輩を見ているだけで理解してもらえるようになった。これでなくちゃ努力の甲斐がないというものだ。

 一週間が経過、身だしなみ・礼儀・行動が良くなり、考え方にも変化が見られるようになってきた。顔つきまで変わった。私たちを信じて、素直に覚えていってくれていることが嬉しい。残りの一週間、全力で頑張るぞ。 研修で感じたことを日誌に書き、翌朝発表するといったカリキュラムがある。

 実習を始めた頃は事実を列記するだけの味気ないものだったが、終わり頃になると心が感じられようになってきた。初日と最終日の姿を写真撮影している。いつの日か、これらの写真を本人に見せてやりたいと思っている。 「本気で教える気持ちがあれば、生徒たちは学ぶものである。」を教えてくれた。

 



 東北大地震

 
 3月11日に日本で大地震が起きた。数日後、西安市の計らいで「日資企業座談会」が開かれた。西安にある日系企業が業種を問わず集まった。各社から、日本での被害状況や西安事業への影響についての報告があった。

 製造業数社では、日本からの部品調達が困難になり、製造ラインがストップする心配が出てきた。被害は西安にまで及んでいたのだ。 西安市は、今回の地震に対して可能な限りの支援をしたいと申し出てくれた。

異国で受ける温かい心使いには特別の嬉しさが感じられる。頑張ろう、西安の日系企業。



 

 玉収集のその後-5

 
 新たに通い始めた骨董店には、他店では見ることができない高級非買品が金庫に納められている。その他、この店では2体が1組になった品が多いといった特徴もある

 客は2個一緒に買うことになるので、ありがたい話とは言い切れない。何故、2体1組にこだわるのか?調査してみると、彼の奥さんは1歳年上のそれは大層な美人で、しかも新婚ホヤホヤであった。「いつも二人は一緒。」と、新妻にアピールしているのだろう。

 若い店主は、「自分に資金があれば、もっと素晴らしい品が集められるのに。」と、横目で見ながら悔しそうに話す。これは、「どれでもいいから早く買ってくれ。」と言っていると思える。 この店には著名な収集家たちが立ち寄るという。彼らは買った品を北京や上海で売るのだが、その販売価格は西安購入価格×100にもなるらしい。店主はそれが悔しくて、「彼らには売りたくない。」と言う。

 これは「この店の商品は安い。」と言っているように聞こえてくる。 親しくなるにつれて、金庫の中の非売品が売品に変わってきた。高価ではあるが、見たり触ったりしているうちに欲しくなってくるのが収集家の常。今が辛抱の時だ。雑談中に、私が夢見ている品についてうっかり喋ってしまった。 翌日には、「希望の品が入ったよ。」と彼から連絡が入る。それにしても早い対応だ。見るだけと、もう一度自分に言い聞かせてから店を訪ねた。

 カーテンが閉まり、展示会が始まる。 準備された中に、とても気になる品があった。雪のように白く、暗やみの中でも白く輝いているようにさえ思える。繊細な彫りが施され、倒れそうに傾いた不思議な姿をした酒器だ。店主は、「どうだ、いいだろう。」と言いたげな表情である。彼の作戦通りに事が進むのは悔しいが、鳥肌が立つくらいの魅力を感じる。

 どうしても欲しい、「これ、いくら?」 後になって気付いたことだが、陝西省歴史博物館で撮影した写真の中に戦国時代を代表する青銅製の酒器がある。その酒器と、胴の紋様に少しの違いはあるものの、姿や形は瓜二つであった。もしかしたら、この二つは同時期に作られたのかもしれない。

 そんな歴史ロマンが感じられてくる。紀元前に、これほどお洒落な酒器が作れたとは。日本はまだ縄文時代である。 戦国時代を調べ直してみた。多くのデザインは春秋時代から引き継がれているが、線で描かれた渦の紋様や浮き彫りされた雲や繭の紋様などは、戦国時代独特のものだ。

 几帳面で繊細な彫刻、清楚で自由奔放なデザインに魅力がある。 調べを続けていくと、3年前に骨董知人から譲り受けた2体が1組になった武士像と動物たちの置物が気になってきた。武士像は大きな鼻と履物が、動物は全体に施された紋様が、この時代の作品と実によく似ている。専門家は、「模倣品は実にうまく作られていて、姿やデザインだけでは判断できない。大切なことは、色の深みや職人魂が込められているかいるかを感じとることだ。」と言う。

 理解はできるのだが。果たして鑑定は? 収集品の中には、「戦国時代に間違いない。」と自信を持って言える「楽人と舞姫」と名付けた六体が一組になった置物がある。玉材、顔立ち、衣装、楽器、いずれも戦国時代の特徴を備えている。その他に、鳥の姿をした酒器もこの時代のものであろう

 西安への道中で読もうと、日本の書店で骨董の楽しみについて書かれた本を購入した。最初から最後まで頷くことばかりであった。その中で、「骨董収集には購入資金が一番の問題になる。」は名文だ。資金により、欲しい品と買える品が違ってくる。痛感している。筆者の本業は古本屋というが、とてもその様には思えない。これから、彼と同じような人間になっていくのだろうか? 玉収集のその後―6へ続く。