2013年を迎えて思うこと 

 2013年を迎えて思うことは、昨年暮れに計画した「無理をしないで、やれることだけをやる。」を実現させることである。67歳を迎える身にとっては、途中で息切れしないような心掛けが必要だ。目先の問題でドタバタしないこと、高い理想を掲げないことが実現のための条件になるだろう。

 これとは別に、経験したことがないことにも挑戦してみたい。新しい発想で、新しいことに挑戦する。これまでの自分とは違う生き方をしてみる。未知の世界を知ることで、新たな勇気が湧いてくるかもしれない。

 これまでの人生を振り返ると、相手の気持ちや考え方を気にしすぎていたように思う。結果、遠慮して自分を抑えてきた。多くの先輩たちが周りにいたこともあるが、今はもう彼らはいない。今年からは自分の考えを前面に出して、指示に対して絶対「NO」は言わせない心構えでやっていく。

 


 

 

 

 

 


…1月の西安…

 上海で新年を

 11月中旬に帰国してからずっと本社の椅子に座っていた。結果、西安に仕事がたまり、年末を迎えるに際して気分がスッキリしない。問題を解決させるには日本の正月休暇を利用するしかないと考えて、西安出張を12月21日〜1月11日に決めた。

 待てよ、西安で正月を迎えるとなると、年越しそばやおせち料理、それに雑煮がないということだ。これでは寂しい。何か良い知恵はないものか。元旦だけでも上海へ行ってみたらどうだろう。上海は6万人の日本人が暮らす大都会、必要な物は揃っているはずだ。

 上海の元旦は雪景色。上海で雪を見るのは初めて、今年は楽しい年になりそうだ。街に出ると白人系の人が多く、レストランでは日本語も聞こえてくる。デパートに入ってみると日本製商品が多く並べられていて、「エー、こんな物まで。」と驚くばかり。婦人服も派手でセクシーな西安ファッションと違い、エレガントさが感じられる。さすが上海は国際都市。

 知人が教えてくれた「食べ物情報」を参考に、食べ歩きをやってみた。結果、困ったことになった。腹周りが大きく膨らみ、ズボンを履くにも苦労するようになった。上海には中国全土から有名店が集まっていて、何を食べても美味い。日本料理のことなど忘れてしまい、中華料理ばかりを食べていた。人生にはこんなこともある。


 

 


 



 採用内定者実習を考える

  

 3月に予定している採用内定者実習について、社員の意見を聞きながら検討してみた。結果、昨年から始めた「実践よりも、人としての考え方を優先させる教育」をもっと進めるべきという結論に至った。

 昨年の実習原稿を開き、書き残しておいたメモを見ながら修正作業を行う。次に、西安の実例なども書き加えた。実習原稿は毎年ページ数を増やしている。中国人を日本文化に馴染ませるためのノウハウが詰め込まれた大事な宝物になった。

 今年の改善は、日本での生活経験を持つ社員の指導時間を増やしたことがある。「私の話を一度聞いたら覚えろ。」は、実習生にとっては厳しいことかもしれない。私が新人の頃、先輩から聞いた話で「同じ事を3回教えないと新人は覚えない。」を思い出した。繰り返し教えることが正しい指導方法なのだろう。

 

 

 

 



…2月の西安…

 西安で春節を 

  一昨年の春節は西安いた。だが、インフルエンザ菌に犯されて完全ダウン。昨年はというと、予防接種を受けていたが、生死をさまよった恐怖を忘れることができずに日本で小さくなっていた。さて、今年はどうしたものか?

西安では、春節前後に様々なイベントが催される。そのイベントに招かれることが多い。2年続けて欠席したこともあり、西安出張を決めた。

 準備に取り掛かる。今年はお世話になっている方々を西安オフィスにお招きして、日式の昼食会を開くことを企画した。献立を決め、食材や食器の詳細なリストを作り準備を進めていく。スペシャル企画は備前焼徳利とぐい飲みで味わう日本酒だ。

 準備を終えたところで、とんでもないことになった。本社の仕事が次々と飛び込んできたのである。結果、西安出張は中止、全ての予約と約束事はキャンセル。今年はほんとうに良い年になるのだろうか?暗雲が立ち込めてきた。

 


西安事情のやりとり  

 2月の西安出張が中止になった。そこで、西安事情について少し考えてみることにした。テレビニュースでは、中国の大気汚染問題や軍艦のレーダー照射事件が話題になっている。知人から心配する声が聞こえてくる。「西安で事業を続けていて大丈夫?」、「反日感情が強くなっているけど、やっていけるの?」といった内容だ。

 「大気汚染は困った問題ですね。解決までには時間が掛かるでしょう。レーザー照射事件は、たまたま担当者がその気になっただけのことじゃないですか。」などと答えている。それを聞いた知人たちは不思議そうな表情をする。「西安も車が増えて大気汚染が進んでいます。しかし、北京ほどではありません。」と付け加えると、「マスクをした方がいいですよ。」と安心した表情で話してくる。

 会話が続くとこんな話をする。「西安では窓から侵入してくる塵の方が問題です。砂と綿が混ざった塵で、毎日の掃除が大変ですよ。」また、こんな質問を投げることもある。「日本は、世界第二位の経済大国・中国との関係を絶つことができますか?」知人は困り顔で「好むと好まざるとに係わらず、中国との関係は続けていかなければならないでしょう。」と答える。

 もっと話したいと思っている人は、「西安で事業をやるメリットは何ですか?」と訊ねてくる。これには「学生数が多い、運営費が安い、自然災害が少ない。」と答えている。「中国リスクはありませんか?」と問われると、「人件費や物価の上昇、人民元の切り上げといったリスクがあります。」と返事する。

 私自身は次のように考える。どんな場所で事業をやってもリスクはある。メリットがあればデメリットもある。全ての条件が整っている場所があるとは思えない。それに、どんな事業をやっていても、一つの事業の命は10年が限度。10年後には、新たな事業を展開していなければ会社を続けていくことはできない。目先の問題や現象を気にするよりも、次の事業を考えることの方が大切だと思う。




 

 


…3月の西安…

  採用内定者実習が始まる


 昨年秋に採用内定した学生たちの筆記試験点数は高く、彼らの頭脳回転速度を楽しみにしている。その3名が出社してきた。スーツ姿が1名、まずまずの服装が1名、よれよれ姿が1名の組み合わせになった。服装だけから判断すると、今年の実習も例年通りの苦労が待っていそうだ。

 実習生の様子は、2日目までは自分は優秀と自信満々である。しかし、3日目になると急に元気を無くしてしまう。その訳は、中国と日本の現状を比較する話が出てくるからだ。中国は世界一素晴らしい国と信じていたところへ、中国は人間教育後進国であることを知らされる。立ち直れない程のショックを受けてしまう。

 だが、彼らは若い。入社するからには、会社が望む人間になるしかないと考え方を変えてくる。彼らの口から、中国の現状に対する嘆きの声までが聞こえてくるようになる。人としての理想を追求していくと、仏教と儒教の教えが基礎になっている日本文化に辿り着くからではなかろうか。

 ほとんどの学生はこの動きをするが、中にはどうしようもない頑固者もいる。そんな時は徹底していじめてやる。会社に服従するか、採用内定を自ら辞退するかを選択するところまで追い詰める。どんな頑固者でも、取りあえずのところは折れてくる。

今年の改善には、実習生自身に考えさせるようにしたことがある。あれもこれも教えたいと多くの理想話をしてきたが、先輩社員の様子を見ると覚えてくれているように思えない。自分で考えれば、少しは記憶に残ると考えた。

 

 



西安の雇用状況

 
 
日系企業の採用担当者から、「中途採用の募集をしても応募者が来ない。」という話があった。人が余っていたというのに、どうして?調べてみると、広州の会社が西安に事務所を開設して、大量採用を始めたからであった。別の日系会社では、総経理(社長)以下社員までごっそり引き抜かれていったと聞く。西安の採用は戦国時代に突入したようだ。

 先行する大連ソフトウエアパークでも、何年か前に同じような現象が起きた。この時は大連ソフトウエアパークが動いて、給与や待遇の統一化に努力したと聞く。社員の引き抜きは、中小企業にとっては企業生命に係わる大問題。西安も動くべき時期が来たように思うのだが。。

 

 

 

 

…4月の西安…

 漢方薬で肩こりを

 
 60歳を越えた頃から、肩こりに悩まされるようになった。日本製のビタミン剤やシップ薬を試してみるが、その効果が感じられない。何か良薬はないかと、自宅近くにある漢方薬局を訪ねてみた。店主からこれしかないと「田七人参」を薦められた。だが、毎日飲むにしてはあまりにも高価な薬であった。

 その後も、漢方薬研究のためにと薬局へは顔出しを続けていた。ある日、店主が「サンプル薬があるから飲んでみるか。」と言って、「田七人参」数袋をプレゼントしてくれた。服用した数日間は、肩こりがなく快適に過ごせた。効果を確認、次は値段の問題を解決させることだ。

 西安オフィス近くに、中国No.1薬局チェーン北京同仁堂の店舗がオープンした。早速、値段だけでも訊ねてみることにした。日本では田七人参だが、中国では三七人参と呼ばれていた。効能を聞くと、高齢者にとっては最良の薬で、体を温め、血流を良くし、肩こりを治す効果があるという。何よりも素晴らしいのは、価格がリーズナブルなことであった。

 1日1回、食前に小さな専用スプーンで一杯。直ぐに体が温まり始めて血が流れていくのが感じられる。この日から肩こりを忘れてしまった。今では、北京同仁堂の宣伝マンと呼ばれるほど、「三七人参」の効果を周りの人に説いている。



 

 

…5月の西安…

 西安から日本に向けて宣伝


 西安から日本に向けて、崗山(西安子会社)の宣伝をしていくことを企画した。崗山の中国語ホームページを日本語に翻訳する作業に取り掛かる。翻訳文章を読むと、日本人に理解できない表現が多く書かれてある。表現の違いがこれ程あるとは思っていなかった。社員に「日本人の頭で日本語を話すように。」と度々言ってきたが、とても難しいことであった。

 日本人が理解できる表現に書き換える作業に取り掛かる。繰り返しの作業で原稿はグジャグジャ状態、イライラは増すばかり。作業を続けていく気力を失ってしまった。一から書き直すしかないだろう。

 控えめこそが美徳と教えられてきた私にとって、自己宣伝は最も苦手な作業になる。 そこで、コピーライターの気分になることから始めた。その気になったところで、掲載内容を顧客の立場から検討してみた。私自身が初めて中国企業と取引した時のことがヒントになる。当時知りたかったことや心配したことをリストアップする。次に、不安の解消や問題の解決について考えた崗山の事業目論見書の内容を書き加えた。ここまでは順調に進む。

 次は、コピーライターからデザイナーへ気持ちを転換しなければならない。デザイナーの仕事は、見た目に美しく、短時間で正確に理解してもらえる作品に仕上げることだろう。美しさは色彩と空間の使い方、短時間での理解は図や動画の活用がポイントになる。不得意な作業を進めるためにはプレッシャーが必要だ。そこで、完成時期を9月末に決めた。ネバー・ギブアップの精神で挑戦していく。


 

 

 

…6月の西安…

 本社の会社パンフレットを西安で印刷

 20年近く使用してきた本社の会社パンフレットがなくなった。本社の新卒者採用を今年再開したからだ。印刷を依頼したが、原版がアナログタイプで時代遅れの役立たずものと言われてしまった。理解できる話ではある。

 デザインから起こすとなると大きな出費になる。何か良い知恵はないものか?デザインは日本でやるが、印刷は西安でやったらどうだろう。運搬費については、定期出張の際に少量ずつスーツケースに入れて運べば心配はない。私一人が苦労すれば済むということだ。不安はあるが、計画を進めることにした。

 古い付き合いのデザイン会社と交渉に入る。苦しい経済状況を理解してもらえたようで、特別値引きされた金額回答があった。値段が安いからといって、当社の要求の厳しさに変わりはない。「近未来的なデザインで、爽やかな感じがするもの。」と注文を出した。

 数週間後、期待に近い原稿が届けられた。デザイン会社へは2度目の感謝である。だが、じっくり見てみると、内容は充実しているが見た目のスッキリ感がない。その原因は文字数が多いのと空間が少ないことだ。そこで、数箇所の削除をお願いした。1ヶ月後、印刷用デジタルデータが届けられた。

 次は印刷だ。西安での印刷は、崗山のパンフレットやポスターで経験している。だが、日本のデータが西安で使えるのか?不安を抱えて印刷屋を訪ねた。試し刷りを見ると、全く問題はない。機械とインクはドイツ製、用紙は輸入品も準備されていて日本に劣るところはない。それでいて、驚くほど安価なのだ。今回の出張での作業はここまで、印刷本番は次回出張時にやることにした。

 




 





 

 

 

 

玉収集のその後-11


 保管箱シリーズ第二弾、トップに登場してくるのは碧玉の瓶だ。碧玉とは瑪瑙のことで、珍しくこの瓶には「新疆和田産碧玉」の鑑定書が付いていた。私には、鑑定書が付くと疑いたくなるという悪い癖がある。理由は、偽物を本物に見せるためのものと思っているからだ。

 馴染み店の店主(以降老友という)は、「この瓶を是非買いなさい。玉収集家になりたいと思っているなら、全ての種類の玉材を持つべきだ。」と熱く語った。全ての種類とは、白玉、黄玉、青玉、碧玉のことである。収集家の道を歩み始めたばかりの私にとっては、商売言葉ではあるが心に強く響いてきた。

 この瓶は「菊花弁虎耳蓋瓶」と命名した。胴回りに筋状の紋様が施されているが、筋の種類には瓜、瓦、菊などがあり、それぞれで溝の幅が違ってくる。この瓶の幅は微妙なところにあって、瓦とも言えるし菊にも見える。好みで菊に決めた。また、老友は「この瓶が素晴らしいのは、溝が真っ直ぐに彫られているところだ。」と言っていたが、この言葉は心に響いてこなかった。

 保管箱に納めたままであった。保管箱シリーズがスタートしたことで、初めて磨いてみた。すると、深い碧色から知性が感じられてきた。この色合いの碧玉が使われたのは、国が隆盛であった清代中期のことである。

 同時期に、「西番葉紋茶入」と命名する小壺も購入した。玉材は同じ碧玉で、浮き彫りされた葉の紋様が気に入った。西番とはインド(ヒンズー)風という意味になる。これまで中国デザインばかりを見てきたからであろうか、西番から新鮮さが感じられる。

 この小壺の用途を老友に訊ねたが、「サー?」の返事。もし、私に用途を決めろと言われたら、迷うことなく茶入にしてしまう。日本の茶入は塗り物や焼物になるが、玉の茶入は自然の趣があって素晴らしいと思えるからだ。

 購入時には輝きがなく、とても「神が宿る石」には見えなかった。職人さんの身に何かが起きて、仕上げ作業ができなかったのではなかろうか。そうであれば、世の中が乱れてきた清代末期の作品になる。この時期には西番スタイルも流行していた。半年間、亀の子タワシと布で磨いた。透明感が出始めて、葉の紋様も浮いて見えるようになってきた。至福の時まで後少し。

 次は、透かし彫りされた小瓶だ。鮮花を入れて香を楽しむ「花薫」にしては小さ過ぎる。彫りのスタイルからは香料の携帯容器「香嚢」のようにも見える。だが、携帯用の紐を通す穴がない。他に考えられるとしたら、据え置き型の香料容器「香筒や香亭」がある。

 しかし、半分程の大きさしかない。では、いったい何の目的で作られたのか、想像力をフル回転させて考えてみた。持ち運びしやすくするために、香筒を小型化したものではなかろうか。屋外で使用するには適当なサイズになる。これを結論にして、この瓶に「透彫長寿紋小香筒」と命名した。

 玉材は帯状に糖色が入った白玉で、優質とは言えないが良質レベルにはある。気に入ったのは彫りで、職人さんの繊細な技が見える。この技を分析すると、現代になってからの作品ではなかろうか。

 最後に登場するは、代表的な中国デザインの瓶だ。黄緑色の地にオレンジ色のベールを被せたような色合いが気に入っている。だが、購入を決めたのは色ではなく、展示品の中でこの瓶だけが「お側においてください。」と語りかけてきたからである。収集家には度々起きる現象だ。

 この瓶の用途は何かと自分に問ってみた。瓶の周りは大きな穴、とても物入れとしては使えない。いくら考えても用途が分からない。飾るためだけの瓶にするしかない。そこで、「透彫鳥龍紋飾瓶」と命名した。

 この品の製作年代について老友と話し合った。彼は現代だと言う。私は明代と感じたが、明代に決めてしまうには気になる点もある。明代の作品は一般的に厚手でボリュームがあるが、この瓶は薄くて軽い。

 老友はこんな話もしていた。「この瓶を博物館に明代作品として展示しても、疑う者はいないだろう。」とか、「博物館に展示してある明代の作品は偽物ばかりだ。」この話、本当だろうか?迷いは増すばかり、余計なことは喋るなと言いたくなる。

 保管箱シリーズがスタートして、収集品を磨いていると購入時の様子がシャープな映像で映し出されてくる。好きなことは、いつまでも覚えているものだと我ながら感心する。


「玉収集のその後」は続く。