2014年を迎えて

 厳しい経営が続く本社だが、こんな時期だからこそ積極的に活動すべきと考えた。2014年にはビッグ・チャレンジを計画している。それは、本社商品「福祉の玉手箱」のバージョンアップである。本社で企画、西安で実作業を行なっていく。気の引き締まる思いで新年を迎えた。
 2006年から始めた西安滞在も、年が経過するごとに日数が減ってきた。だが、今年は増えるだろう。ここで注意するのは健康管理である。出来ることから始めようと、成人病検診を3週間繰り上げて受けることにした。まずは、憂いをなくすことからだ。

 健康管理は普段の生活が大事だ。早寝早起き、野菜中心の食事、適度な運動などが言われている。「早寝早起き」は年老いたことで自然に解決した。残るは「食事」と「運動」だ。それに、もしかすると「禁煙」が含まれるかもしれない。

 現状分析を行った。食事では、岡山と西安それぞれに美味しい料理があって、以前よりも量が増えている。それに、年寄りにしては肉類を欲しがる傾向も見える。運動は、趣味の玉磨きに熱中して体を動かそうとしない。「禁煙」は、初めからその気がないといった分析結果であった。

 過去の努力についても思い出してみた。食事の量を減らすと間食が増えた。運動すると食欲が増した。禁煙すると、何を食べても美味しくて食事の量が増えた。いずれも逆効果であった。この様な状況で、解決策を見つけることができるのだろうか。

 どのような状況であろうと、努力することが大切だ。実行可能な方法について「食事」から検討を始めた。西安では外食することが多く、肉類中心の食事に偏る傾向がある。それなら、自炊してみてはどうだろう。日本から魚を持参すれば、肉の量は確実に減らすことができる。それに、西安の野菜は美味で、自炊すれば自然に摂取量も増えてくるはずだである。

 次は「運動」だ。玉磨きは、残り少ない人生の生甲斐になっている。これを止めるわけにはいかない。そこで、西安オフィス近くにオープンしたスポーツジムへ通うことで何かできないか考えた。ヘトヘトになるまで運動すれば、食欲もなくなってくるのでは?考え方は正しいかもしれないが、やる気を持ち続けることが問題だ。今日は忙しかったとか、明日は朝から忙しいからなどと、理由を付けては休むケースが過去には多かった。準備には少し時間が必要であろう。

 最後は「禁煙」だ。過去に一度だけ努力したことがある。その時は成功した。しかし、禁煙後急に肥りだしてズボンが履けなくなった。スーツを新調するには、節約したタバコ銭どころではない。その時から、「タバコを止めるなんて愚かなことは考えない。」を信条に吸い続けてきた。禁煙は肥満との戦いになる。そのためには、食事と運動の改善を成功させなければならない。

 健康管理への取り組みを始めたが、進めていくうちに迫力がなくなってきたように思える。だが、始めた以上、努力は続けていくつもりだ。


 


 



西安開設記を考える

 新年を迎えた頃に、毎年考えていることがある。それは、西安開設記のことである。1,2年もすれば書くこともなくなると思って書き始めたが、やることは同じでも問題発生の原因や対策はその都度違っていた。それに、西安滞在の日数が増える分だけ、中国文化と日本文化の違いが見えてきた。今年も新しい発見があるのではと、書き続けて今回で33回になる。

 今年、初めて西安開設記の終わりについて考えるようになった。迷う中で、学生時代にアメリカ人の先生から聞いた話を思い出した。「アメリカ人のジョークを理解するには、10年以上アメリカで生活しなければ無理だ。」 これは、異国の文化を理解するには10年以上かかるということだ。10年はやってみるが正しい考え方になるのだろう。

 

 

 

 

 


…1月の西安…西安で新年

 本社の年末・年始の休暇は10日ある。この間、家でゴロゴロだけではもったいない。昨年と同じように西安出張を計画した。
 中国の正月休暇は元旦の1日だけ。正月らしさは感じられない。そこで、日本から正月を持参しようとデパ地下を歩いてみた。目に飛び込んできたのは、日本酒、餅、黒豆、昆布、かまぼこ、佃煮であった。全部西安へ持って行くことにした。

 12月21日西安へ到着。2年前頃までは、この時期になるとクリスマスの飾り付けが多く見られた。しかし、今年は僅かになってしまった。これは、西安の人達が中国らしさを求めるようになってきたからであろう。クリスマスイブの恒例行事にまでなっていた、若者と公安の合戦も今年からなくなると聞いた。

 西安入りしてからの数日間はPM2.5で悩まされた。子供たちへの影響が酷く、4,5千人の児童が病院へ通っていると地元のテレビニュースで報道されていた。この時期の西安の天候は、濃い霧が発生して太陽が見えない日が続く。そこへ、市内へ温水を供給するために石炭が燃やされ、PM2.5が発生すると考えられている。

 大晦日の夜は特別なテレビ番組はなく、日本の総理大臣が靖国神社を参拝したニュースが繰り返し報じられていた。大掃除を済ませ、年越し蕎麦を食べ、昨年の大晦日に録画しておいたNHK紅白歌合戦を見ながら新年を迎えた。今年が良い年でありますようにと願いつつ。

 

 

日本土産

 日本から戻ってくる社員たちの土産は、時代と共に変化してきた。昨年12月末に帰国した3名の社員は、どんな土産を選んだのだろう。
 日本が初めての社員は、土産よりも自分が使うビジネス用品を多く買い求めていた。シャツ、ネクタイ、靴といった品々だ。日本が二度目の社員も、仕事用のシャツや下着を選んでいた。仕事優先の考え方が素晴らしい。よくぞここまで成長してくれたと目頭が熱くなってくる。これは、西安スタッフが続けてきた「自分への投資教育」の成果である。

 家族への土産としては、発熱タイプの下着が多かった。これも西安スタッフが薦めていた品である。その他、面白い土産としては、米、味噌汁、カレーなどがあった。

 参考までだが、私が西安へ持ち込んだ品の中で喜ばれたのは、芳香剤、胡麻ドレッシング、焼肉のたれ、玄米茶、ハンドクリーム、ムヒ、ホッカイロ、コロコロ、消しゴムであった。日本人にとっては土産にならない品ばかりだが、これらが喜ばれたのである。これが、日本人的発想で選んだ品は、備前焼は地味過ぎる、ネクタイは普段締めることがない、煎餅は甘くない、ウイスキーは飲む習慣がないといった評価になってしまった。大失敗である。日本の常識は中国では通用しないのだ。




 

 

 

 

 

入社3年目の迷い

 入社して3年が経過する頃になると、社員の中には迷いを持つ者が現れてくる。これは、仕事や社会に慣れたことで、気持ちにゆとりを持ってしまうからだ。彼らの迷いとは、「このまま今の仕事を続けていいのか?」、「もっと自分に向いた仕事があるのでは?」といったことなる。これは迷いではなく病気だと思う。

 明確な将来計画を持っている社員は、決してこの病気に侵されることはない。目標を持たない社員だけがこの病気に感染して、仕事への意欲を失っていくのである。そして、今の自分に満足して、自分は優秀で能力ある人間だと思うようになる。

 次に、恋愛ごっこに夢中になり、学習努力まで怠ってしまう。やがて、上司から注意されると不満に思い、別の世界へ逃げ出すことを考える。この頃になると恩や義理・人情といった、人として最も大切な気持ちを無くして、我が侭で自己中心的な考え方で物事を判断してしまう。

 1月下旬、入社3年を過ぎた男性社員から退職願が出された。既に末期的症状が現れていた。自分が夢見る花園へ逃げ出すことしか考えていない。人としての正しい考え方を話してみても、自分の方が正しいとしか考えない。もう、手の施しようがない状態だ。そして、最後の言葉「明日から出社しなくていいよ。」が出てしまう。

 耐えて頑張るという点では、女性の方が優れているように思える。女性は生まれながらにして、子育てという責任感を持っている。責任感が彼女たちに正しい道を歩ませているのだろう。西安の管理職クラスに女性が多いことが、そのことを証明しているのではなかろうか。

 

 

 


春節食事会

 西安では春節前後に様々な行事が催され、それらの行事に招かれることが多い。その招きに3年連続して欠席してしまった。3年前は西安のインフルエンザ菌に侵されて欠席。2年前はインフルエンザの恐怖で西安出張をしり込み。昨年は欠席したお詫びにと日本食パーティーまで準備したが、本社の仕事で駄目になった。今年こそはと頑張ったが、また駄目であった。

 中国人にとって春節は、一年で一番大切な日である。遠くへ出掛けていた家族も戻って、皆で春節を祝う。だが、この時期にも日本で働いている崗山社員がいる。

 本社は一年で一番忙しい時期を迎えるので、帰国許可などもらえるずはない。本人は仕事と諦められるだろうが、夫に付いて日本へ来ている妻たちは寂しい思いをする。そこで、彼女たちを慰めようと、中国の大晦日にあたる1月30日の夜に二組のカップルを招いて春節食事会を開いた。

 

 

 

…2月の西安…事務所賃貸契約の更新

 事務所の賃貸借契約をしてから3年が経過、更新の時期が近付いた。不動産部からは20%アップの家賃を言われている。3年間値上げがなかったので、仕方がないのかもしれない。だが、前回の契約では値引きしてもらえたことがあり、手土産を提げて不動産部を訪ねてみた。

 不動産部のボスはこちらの話しを聞こうとはせず、建設中ビルの自慢話ばかりする。「一等地にあって、西安では一番高いビルになる。」とか、「外装はアメリカに、内装は日本の設計事務所に依頼した。」、「あなたの会社は評判が良いので、連れて行ってあげてもいいよ。」といった話である。

ボスの話が途切れたところで値引き交渉を始めた。ボスの反応は極めて鈍い。途切れ途切れになった彼の話しをつないでいくと、値引きに応じる考えはなく、嫌なら出て行ってくれてもかまわないと言っているように思えてくる。周辺オフィスビルの家賃と比較して安い方なので、改訂を受け入れるしかないだろう。

 

 

 

 

赴任研修は

 崗山社員1名が2月末に本社へ赴任する。彼は、昨年の秋に2ヶ月ほど本社で仕事したことがある。生活面での指導の必要はなく、精神面についてだけ研修を行うことにした。

 これまでに発生した問題としては、1年間日本で過ごすと自分はもう一人前になったと思い違いをする社員が多かったことがある。BSE(ブリッジ・システムエンジニア)になるには10年かかることを認識しておいてもらわなければならない。だが、10年先のことを考えさせることはもっと難しい。

 そこで、今回は3年先までの目標についてだけ話をすることにした。内容は次のようなことだ。

1年目の目標
@日本語をしっかり勉強する。
A常に感謝の気持ちを持つ。
B日本文化を知る。

2年目の目標
@信頼される人間を目指す
A相手の気持ちになって物事が考えられる人間になる。
B日本人の考え方を知る。

3年の目標
@真のプロフェッショナルを目指す。
A恩を忘れない人間になる。
Bしっかりした人生設計を立てる。
 でいってくれるだろう。彼の赴任日と私の帰国日が重なり、岡山まで一緒に移動することにした。



 

 

 

 

 

…4月の西安…  帰国報告会と採用内定者懇談会

 日本で実習している社員には、年一回2週間の帰国休暇を与えている。勿論、交通費は会社が負担してのことだ。家族や友人たちに、「俺は外国から帰ってきた。」と自慢してみたいだろう。故郷料理も食べたいだろう。そんな気持ちから設けた帰国休暇制度である。但し、彼らに一つだけ義務を負わせている。それは、西安での帰国報告である。

 今回は、帰国報告会と採用内定者懇談会を組み合わせて開くことにした。内定者たちも、帰国してきたばかりの先輩から直接日本の話を聞いてみたいだろう。将来への夢をもっと膨らませてもらいたい。そんな気持ちから二つを組み合わせたのである。

 採用内定者との面談も終わり、帰国報告会を始める。帰国社員は緊張からか、話が途切れ途切れになっている。準備不足もあって、聞き手を意識した内容にもなっていない。内定者たちが下を向き始めた。ここで、西安スタッフが助け船を出した。今回の失敗で、次回からは立派にやってくれるだろう、先輩達もそうであった。失敗は成功の母である。

 報告会の後は夕食会だ。採用内定者たちもリラックスしたようで、先輩たちと楽しそうに話していた。



 

 

…5月の西安…カラオケ事情

 西安ではカラオケが一番の娯楽になっている。気軽に立ち寄れる店から豪華に内装された店までその数は多い。但し、日本歌曲が準備されているのは豪華な店だけである。準備はされているが数は少ない。あいうえお順に探していくが、決まって3曲しか見つからない。この3曲をずっと歌い続けてきたが、最近になって少し恥ずかしく思うようになった。

 そこで、新曲を見つけに労働節休暇にカラオケ店へ行ってみた。日本らしさが感じられて、しかも私の雰囲気にあった曲を見つけなければと意気込んではみたが、現実は厳しく聞き覚えのある曲を探すにも苦労する状況であった。それでも、無理やり3曲を選び出した。早速練習してみる。声が枯れるまでやってはみたが、はたして9月の新入社員歓迎会に間に合うかどうか心配になってきた。

 カラオケ店の料金は面白い制度になっている。店内の売店で利用料金を上回る買い物をすると、利用料が無料になる。無料は魅力的だ。そこで、多めに買って帰国土産にすることを考えた。売店に並べられた商品の中には1本10万円もするブランデーやワインまであった。どんな人が買うのだろう。

 

 

 

…6月の西安…賃貸住宅事情

 西安全域でマンション建設が進められている。特に、高新技術開発区の国際ビジネス街周辺が賑やかで、投資家たちが賃貸を目的にこの地区に建つマンションの購入を続けている。「あなた、マンションを幾つ持っている?」が、挨拶言葉にまでなったと聞く。

 サムソン電子の工場が稼動を始めるのに合わせて、韓国から千人単位の人が西安へやって来た。結果、韓国人街が出来て、投資家の思惑通りに家賃は上昇を続けている。だが、彼らはいずれ帰国して行く。需要と供給のバランスが崩れ、思惑通りにいかなくなることが予想される。だが、投資家の中にそんな心配をする人など一人もいない。大丈夫、ヨーロッパやアメリカからも大勢来るから。確かに、この地区には外資系や国内大手企業が集まってくる。彼らの予測は正しいのかもしれない。

 そこで、私自身が投資家だったらどうするだろうと遊び心で考えてみた。この地区の賃貸物件には家具付が多い。一般的には、内装は出来るだけ安い材料で、器具は中国製の安い品から選んでいる。競合相手とは、家賃が安いことを武器に勝負する。これが西安流である。私なら逆の発想で考える。豪華で快適な環境を準備して高い家賃で貸す。ターゲットは企業のトップ達だ。良い商売が出来ると思うのだが。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玉収集のその後-13

 保管箱シリーズの第四弾だ。これまでの「老友」に代わって、今回から偶然の出会いから友達になった骨董商人(以降闇商人と呼ぶ)が登場してくる。何故彼を闇と呼ぶのか。それは、取引が建築中ビルの暗い地下室で行われたからだ。この取引で不安に思ったには、怪しげな雰囲気ではなく、助言をしてくれる人がいなかったことである。闇商人に玉の知識はなく、仲間から頼まれた品を売るだけの役だ。頼りは自分の目と感性だけ。

振り返ってみると、この時期に一番玉の勉強をしていたように思える。贋作をつかまされたくない、誰よりも安価に購入したいという二つの強い欲があった。闇商人との取引は3年ほど続くが、この間に民芸レベルの品から博物館級まで様々な玉器と出会った。

トップに登場してくるのは横幅30cm、高さ23cm、奥行き10cm、龍の姿をした青玉製の大型器だ。祭事の際に供物を入れてお供えするための「尊」と呼ばれる容器で、購入の理由は堂々とした姿ではなく大きさの割に価格がリーズナブルであったからだ。重量は2kgを超えていた。購入時には泥まみれ状態、水洗いしてみると細部まで丁寧に漢代特有の紋様が施されてあった。周りには派手な飾り物も付いて、漢代作品であることをアピールしている。この作品には「獣面紋龍尊」と命名し、自宅の玄関に飾ってある。

次の商談は、携帯電話に送られてきた1枚の写真から始まった。「内蒙古自治区で掘り出されたばかりの品で、もし興味があるなら送ってもらうけど。」と、闇商人が気乗りのしない様子で連絡してきた。汚い石にしか見えなかったのだ。私は興奮状態、間違いなく商代作品と思えたからだ。商代といえば紀元前16世紀〜11世紀、ほんとうにそんな古い品が届くのだろうか。

3日後にその品は届けられた。少し傷みはあるが、ペッタンコの鼻や膝の上に礼儀正しく置かれた手が可愛い。それに、一人だけとぼけた顔をして他を向いているところなどは、現代でも通用するユーモアが感じられる。秘宝とも言えるこの作品には、商代の代表的な紋様から「巻雲紋座人」と命名した。

数回目の展示会の際に、タバコが吸いたくなって闇商人に灰皿の借用をお願いした。彼が持って来てくれたのは、鳥の姿をした小物入れだ。とても玉に見えないが、間違いなく長い間土の中で眠っていた青玉である。使用許可の再確認をすると、「いつも灰皿にしているよ。」と彼は言った。チャンス到来か?さりげなく売り物にするかを訊ねてみた。すると、本当に買いたいのと言いたげな表情で「500元なら売ってもいいよ。」と返事してきた。

学習によると、これは漢代の婦人たちが貴重品入れにしていた品である。交渉を長引かせて値上げされては困る。支払いを直ぐに済ませて持ち帰った。最も安価なこの収集品には「水鳥宝箱」と命名した。これからは灰皿にされることはないだろう。

次は、正体不明であった品だ。初対面の印象は、こんなものが世の中に存在するの?醜い顔、飛び出した下腹、曲がった脚、おまえは何者だ?闇商人も同じように感じていたのか、驚くほど安価な値段を提示してきた。これを聞いて気持ちが急転。白玉の透明度は高く、それだけでも十分に価値がある。直ぐにでも返事したいところではあったが、取りあえず保留にしてもらい本屋へ直行した。

調べてみると、仏法を守護する八部衆(8神)のなかに、「迦楼羅像」の名前で掲載されてあった。苦手な中国語から収集した情報では、迦楼羅は釈迦が教化した異教の神で、金色の翼を持ち、蛇神を喰う大鳥と記されているように思える。同じ仲間に日本でもお馴染みの「阿修羅」がいたことも決め手になった。正体が分かると、変な格好も魅力的に見えてくる。

その他専門書には、時代ごとに変化していった迦楼羅のデザインが掲載されてあった。この像は、宋代の作品と思える。帰国してから日本の書店でも調べてみたが、日本にも奈良時代に日本で作られた迦楼羅像が残されていた。

「玉収集のその後-14」へ続く。