下期のはじめに

 

 上半期も西安へ行くことができず、円安も続き暗くて寂しい時を過ごした。これまで不幸を寄せ付けない生き方を心掛けてきたが、コロナと円安はどうすることもできなかった。下半期は、ワッショイ・ワッショイと気分だけでも祭りのように過ごしたいものだ。

 

 

 

 

 

 

    …7月の西安…


 西安のPCR検査は続く

 

 1月下旬に西安市の都市封鎖は解除されたが、全市民1200万人に対するPCR検査は7月になっても続いている。ただ、検査間隔が週1回のペースに変わった。西安市はいつまで検査を続けるのだろう。

 

 PCR検査を受けないと、どこへも出掛けられない。外出するには、受けたことを証明するシールの提示が求められる。もし、PCR検査の結果に問題があれば、携帯電話に登録された「健康コード」の色が瞬時に赤色に変わり、隔離施設へ送られることになる。

 

 中国の感染対策はゼロコロナ、厳重封鎖、殺菌、PCR検査、隔離を1ヶ月間やれば、コロナ菌はいなくなるはず。西安は3度都市封鎖されたが、いずれも1ヶ月未満で解除された。だが、上海の封鎖は2ヶ月以上続いた。どうしてなのか。

 

 7月5日の夕刻、突然「明日から一週間は全店舗閉鎖」と西安市から発表があった。半年振りの出来事だ。今回のウイルスは感染力が強いBA.5、感染者数は2名だけだが大変な警戒振りで、深夜の2時から全市民の緊急PCR検査が始まった。対策が行き過ぎないことを願っている。

 

 

 

 

 

 

 

 


 
 円安が続き 

 

 7月になっても円安が続き、状況は悪いまま。ここ数ヶ月、西安から送られてくる換金レート票を眺めているが、円は下がる一方だ。毎夜、東京に向かい「日銀さん金利を上げてください。」、中東産油国の方角に「原油増産をお願いします。」と手を合わせている。

 

 経験したことがないほどの円安で、これまでやったことがなかった予算修正を7月に行なった。前年度の年平均換金レートは5.8,今年の当初予算は5.4に設定、今回の修正時には5.0まで下げた。収入は大幅減になり赤字が発生。上期から赤字対策を続けているが、それだけでは足らなくなった。

 

 7月は社員の待遇改善月。給与改定が損益結果に大きく影響してくる。赤字を念頭に置き、改訂審査を進める必要がでてきた。それにしても、質素倹約の生活はいつまで続くのだろう。7月下旬、換金レートはついに4.9を切った。この先どうなるのか不安だ。



 

 

 

 



 洪水が多発

 中国では6月から洪水が多発して、31省あるうちの26省で大きな被害が出た。北の黒竜江省から、大連、青島、重慶、江西省、南の広西チワン族自治区、広東省に至るまで広範囲だ。屋根の上で救助を待つ人、流されていく車、壊れた橋、目を覆いたくなるような光景が日本のニュースでも報道された。

 

 中国は、世界一早いスピードで高速鉄道と高速道路を整備している。しかし、治水事業については、同じ場所が繰り返し被害にあっているところからすると、十分に進められているようには思えない。中国の古い諺に、「水を治める者は天下を治める。」がある。昔の人が残してくれた教えを忘れてはいけないと思う。

 

 水資源確保のためのダムが次々と建設された。ダムが出来たので洪水の心配がなくなったと思っているようだが、洪水の中にはダムに水を溜め過ぎて、一期に放水したため発生した洪水がある。流すべき水を普段から流していれば、洪水は防げたはずだ。

 

 7月も雨の勢いは止まらない。毎日のように洪水や土砂災害の情報が流れてくる。今年は乾燥地帯の甘粛省も例外ではなく、砂漠がバケツではなく風呂桶をひっくり返したような豪雨になっている。気候変動の影響は恐ろしい。








 

 …8月の西安…   

 

 本社転属予定が

  本社転属を予定している社員の赴任日が、コロナ感染対策の影響で遅れそうだ。中国政府は自国民が外国へ出掛けることを好まず、春先からパスポートの発行を制限している。コロナ菌を持ち帰るのを恐れてのことだろう。

 

 知り合いの大学教授から久しぶりに連絡があり、学校側にパスポートを取り上げられた話を聞いた。日本へ来ることを一番の楽しみにしていた教授だけに、大変な落ち込み様だ。パスポートが戻るのは定年退職後になるそうで、ここまでやるのはコロナ対策だけの理由ではないように思える。

 

 パスポートの申請受付が再開された。添付書類の枚数が増え、本社で準備する書類が2枚になった。日本へ行く明確な理由と日本で具体的に何をするかを詳細に説明しろというものだ。出来上がった書類を郵送するが、申請受理してもらえるか気になるところ。気になることは他にもある。

 

 中国系航空会社の運航がコロナ対応のままで、日本のローカル空港への便がない。成田だけは週に1便ありそうだが、来日時の迎えが大変なことになる。今年の本社転属は延期した方が良さそうだ。







 

 

 

 
  本社移籍希望者が 
  

 

 昨年12月に続き、本社転属中の社員が本社への移籍を希望してきた。移籍を希望する社員には共通点がある。第一は、結婚相手が中国にいない。第二は、出身地が西安から遠い。第三は、日本での生活に満足していることだ。これまで帰国した社員は結婚を約束した相手が中国にいて、西安でマンションを購入することばかり考えていた。

 

 西安にとっては戦力低下になるが、本人の気持ちを大切にしてやりたい。この申し出には、8月21日付で移籍することを決めた。

 






 

 

 


 


 …9月の西安…


 秋の募集は

 

 今年春の募集では、西安郵電大学の就職担当教授が、ソフト開発企業へ就職を希望するなら外資系を選ぶことを学生に薦めた。中国系企業は社員教育をしないからだろう。この大学からは例年よりも多い応募があった。

 

 秋の募集が9月からスタートする。採用予定人数を決めなければならない。中期計画の3名でいくか、それとも今年減らした2名を加えて5名にするか、結論が出せないでいる。迷った時に使う算式では、(3名+5名)÷2=4名だ。足して2で割る単純な方法だが、瞬時に答えが出てくる。

 

 募集環境は前回号にも書いたが、学生が希望する就職先はコロナ感染の心配がない中国で、倒産の心配がない公務員だ。西安子会社は外資系・日本行き・民間企業と悪条件が全て揃っている。また、大卒予定者の多くは公務員応募のため、12月に行われる大学院入試を目指している。結果が発表される2月以降にならないと大卒募集は本格化してこない。そこで、秋の募集は大学院卒を中心に進めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 



  中秋節に月餅を  


 節約を第一にやってきたので、今福利関係の出費は極めて少なくなっている。中秋節を迎えるにあたり、社員に月餅をプレゼントすることを考えた。ただ、安価な品では社員の面子を潰すことになる。そうかと言って、高価な品では損益を悪化させてしまう。迷うところだ。

 

 月餅で思い出すのは、2003年9月に大連のソフト会社を数社訪問した時のことだ。帰国時に、土産でいただいた月餅が山のようになった。それ以来、9月の会社訪問はタブーにしている。

 

 どんな月餅にするか総経理に検討を依頼、見た目も豪華で味も安心な唐楽宮に決まった。。海外事業部長が好きなフランス式月餅も候補になったが、余りにも月餅らしくないので止めたそうだ。




     
     




 

 …10月の西安…

 国慶節休暇

 

 国慶節休暇前の3ヶ月間は、抗日がテーマのドラマが毎日テレビ放映される。鼻の下にチョビ髭を生やした頭が悪そうな日本人が登場してきて、決まったように女性に悪さをする。そこへ、登場してくるのが、正義の味方・共産党軍の兵隊さんだ。趣味の悪いドラマで、日中友好を望むなら中止すべきであろう。友好のベースは国民感情にあると思う。

 

 国慶節と言えば、10月1日に天安門広場で行われる軍事パレード。一糸乱れぬ軍隊の行進は世界一。この日のための訓練で、長靴の靴底が3日で抜ける話を聞いたことがある。

 

 日本でも1日午後のニュースでパレードの様子が見えると楽しみにしていたが、どの放送局からも報道されなかった。これもコロナ感染対策のためか。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

  秋の園芸作業

 

 夏の園芸作業はやぶ蚊の恐怖から完全休止。そのお陰で蚊に刺されることなく、かゆみ止め薬は未使用に終わった。だが、雑草たちが元気に育った。秋の作業は雑草取りから始める。

 

 春に彫り上げたスイセンの球根は予想を超えた量で、貰ってくれる人はなく、処分することも出来ないまま。解決方法は新しい花壇を設けることだろう。膝と腰をかばい、十分な休憩時間を取りながら、固く締まった土を30p程度掘り返す。そこへ油粕、骨粉、腐葉土をすき込み、草花専用の土を入れて植込んでいく。

 

 次は、花木の剪定だ。本数を増やしたことで、大きく育てる訳にはいかない。込み合った枝や伸びすぎた枝を、花芽に気を配りながら切り詰めていく。剪定は、毎朝の庭散歩の際に決めている。通風と防虫それに日当たりを考えて、樹形は単幹の玉ちらし型を基本にしている。剪定は集中力と決断力が求められる作業で、その緊張感がたまらなく好きなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …11月の西安…

 本社転属社員の帰任が実現 
 
 

 2019年11月に本社へ転属してから3年が経過、本社研修を修了する社員がいる。転属中には、コロナ感染で1度も帰国できなかった。3年振りの帰国で、家族や彼女に再会できることを心待ちにしている。

 

 9月中旬に東方航空へ連絡したが、秋のフライトスケジュールはまだ決まっていなかった。ただ、毎週火曜日の成田発西安直行便は飛ぶ可能性が高いらしい。中国領事館の案内では、中国へ帰国する際には2度のPCR検査の陰性証明が必要で、帰国後は7日間のホテル隔離と3日間の自宅隔離が必要と記されていた。10月上旬、航空券、成田空港3泊の宿泊と2度のPCR検査の手配をした。

 

 10月29日初めての新幹線で東京へ行き、乗り換えて成田空港まで移動。30日は空港で、31日は東京都内の病院でPCR検査を受けて陰性証明書を取得。これで帰国準備は整った。11月1日成田空港13時35分発のMU594で西安へ直行。22時には隔離ホテルに着いたとの連絡が入った。やれやれ一安心。  明朝には会社からパソコンが届くので、隔離ホテルでお仕事をお願いします。

 

 

 …12月の西安…

 終活を始める


 認知症になってからでは手遅れになると終活を始めた。両親の遺品整理で苦労した経験からくるもので、無用な品が多かった。自らの手で、早い時期に廃棄しておくべきであろう。

 

 丈夫なシュレッダーを購入、箱積みされた郵便物と書類の整理から始める。西安へ通い始めてから箱に投げ入れてきたもので、氏名や住所、個人情報が記載された部分を抜き取りシュレッダーへ。

 

 次は、本棚の整理だ。残っている書籍は趣味関係だけで、写真、盆栽、陶芸、庭園、釣り、船、バイク、旅行など。園芸と玉器を除き現在は停止状態にある趣味で、これをは資源ゴミとして処分した。また、録画した外国映画のビデオテープ400本は、既に耐用年数を過ぎており全て廃棄。音楽CDや映画DVDも3分の1に減らした。残ったのは旅行で撮影した写真アルバムだが、量が多過ぎて作業を先送りした。

 

 続いては、趣味関係の品が入っているロッカーだ。作業を始めて直ぐに、羽田国際空港に勤務していた22歳から24歳までの2年間に収集した外国コインの箱が出てきた。50年振りに開けてみると、懐かしさでいっぱい。手に取ると頂いた人たちの顔や姿までが思い出され、とても処分する気にはなれない。終活の難しさはこんなところにあるのだろう。

 

 残るは針や錘といった釣り用品で、かつての釣り仲間にプレゼントしようと箱詰めしていった。錘などは8重の塗装を施した自作の品で、魚だけでなくタコやイカまで引き寄せる魅力があり、釣果が多かったことを思い出す。重いものでは、知床沖でのサーモン釣りに使ったものがある。仲間の喜ぶ顔を思い浮かべながら箱詰作業を続けるが、自作の仕掛けについては例外にした。知恵と工夫と努力で独自開発したもので、これからも仲間には秘密にしておきたいと思ったからだ。心が狭い訳ではなく、彼らに「自分で研究しろ。」と言いたいからである。

 

 終活は、燃えていた若い頃を思い出させてくれる楽しい作業である

 

 

 

 

 

 

 

 ゼロコロナ政策が終了
  


 12月7日、突然ゼロコロナ政策が終了。封鎖地区は解除され、毎日行われていたPCR検査が無くなり、全ての店舗が営業を再開した。今後の対策準備が無いままで終わるとは、とても考えられない。

 

 再開したデパートやレストランを訪れる客は無く、走る車も少ない。PCR検査が無くなったことで、市民の感染に対する恐怖心が増したようだ。人々は薬局へ走り、争って解熱剤や風邪薬、抗体検査キッドを買い求めている。

 

 心配していたことが的中。発熱者が急増して人々が病院に押し掛け、医療崩壊が始まった。感染は医師や看護士にまで拡がり、状況は悪なる一方だ。

 

 我社の対応は、危険を感じて11月21日からテレワーク体制に切り替えている。春節休暇が終わるまでは続けるつもりだ。社員には、今後の生活についての厳重指導と春節休暇中の帰省を禁止した。今は総経理だけが、マスクを四重にして役所や銀行の外回りをしている。

 

 

 

 

 

 

 

 2022年の終わりに


 辛かった一年が終わる。2022年ほど損益管理で苦しめられた年はない。今年の円安は生涯忘れることはないだろう。苦労は人を老いさせると言われるが、この一年で頭髪は薄くなり、老人化が急速に進んだように思える。葉を落とした老木でも春になれば緑の葉を付けるが、私の髪もそうなることを願っている。